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平和憲法ネットワーク/9条の会・吹田,北摂 掲示板

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大阪、近畿他の戦争、思い出すこと - TH

2025/05/31 (Sat) 08:36:47

敗戦後80周年、大阪や近畿他の戦争関連の話題を書きましょう。読んだ本や新聞なども・・。
スマホではこの記事の「返信」にて、PCからはこの記事の下の枠に書けば、連記されます。匿名OK。題名も変えて下さい。

丹後 - TH

2025/05/31 (Sat) 09:09:30

丹後に行きました。舞鶴引揚記念館、経ヶ岬Xバンドレーダー、「道の駅・シルクのまちかや」の大江山ニッケル鉱山跡、アミティ丹後の野村克也ギャラリーを見ました。
https://honkatu.blog.fc2.com/blog-entry-1860.html

吹田の戦争遺跡、故塚崎 昌之さん - TH

2025/05/31 (Sat) 08:46:49

この話題には、故塚崎 昌之さんが欠かせない、彼を検索したら、新聞記事が出てきました。
https://digital.asahi.com/articles/ASP316TRTP2KPTIL02V.html 朝日
大阪府北部のベッドタウン、吹田市はかつて、旧陸海軍の地下施設を多く抱える「軍事都市」だった。
サッカーJ1、ガンバ大阪の本拠「パナソニックスタジアム吹田」あたりの地下にあった旧海軍山田地下弾薬庫を紹介している。
現在の北大阪急行桃山台駅近くに海軍の医薬品を収める地下倉庫があったほか、阪急千里線豊津駅付近では陸軍が、戦時中、ガソリンの代替燃料とされたメチルアルコールを収めるトンネルを掘った。戦後の住宅開発で痕跡が消え、詳細がよくわからない地下施設も多いという。
なぜ吹田に軍事施設が集中したのか。塚崎さんが注目するのは「東洋一の貨物ヤード」と呼ばれ、軍需物資輸送の拠点だった旧国鉄吹田操車場(廃止)の存在だ。国内最大規模の兵器工場、大阪砲兵工廠(こうしょう)(大阪市)との近さや、丘陵地で米軍機の爆撃を避けやすいと考えられたことも理由とみる。
 23(大正12)年に開業した吹田操車場の建設を含め、重労働の難工事を主に担ったのは日本統治下にあった朝鮮半島出身の人たちだった。「今も地域を外国人労働者が下支えしているように、昭和の歴史も日本人だけで築かれたわけではなかった」と塚崎さん。
吹田市の山田周辺が、戦前までケシ栽培の中心地だったという秘史も紹介している。ケシは鎮痛剤のモルヒネの原料になる一方、麻薬のアヘンやヘロインのもとにもなった。大阪発祥の製薬会社の発展の礎となるとともに、日本のアジア侵略にも深くかかわっていたと塚崎さんは分析する。

https://mainichi.jp/articles/20201127/ddl/k27/040/350000c 毎日

大阪府吹田市の市民団体「世代をこえて考える戦争と平和展実行委員会」は小冊子「吹田の戦争遺跡をめぐる」を発行した。
大阪には東洋最大の兵器工場「大阪砲兵工廠(こうしょう)」があり、36年、軍拡が始まって軍需景気のため大阪市内の工場が手狭になった。東洋一といわれた吹田操車場は29年に城東貨物線(現おおさか東線)で砲兵工廠と結ばれていた。大砲や戦車は吹田操車場から各地の陸軍部隊へ。また中国戦線に出兵する兵士たちも吹田操車場から大阪市内の築港へ向かった。戦況が悪化すると軍事工場の疎開や、軍の地下貯蔵庫が造られた。朝鮮人労働者が劣悪な環境で働かされたという。「戦争が起これば無関係ではいられない。歴史を勉強して、当事者性を持ってもらいたい」と述べた。

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